2016年3月30日水曜日

どっこい生きてる。元牛丼太郎茗荷谷店。丼太郎(どんぶり太郎)

低価格路線で牛丼戦線へクサビを打ち込んだこともある牛丼チェーン『牛丼太郎』。その茗荷谷店。
店舗全景看板


ふと気が付くと看板の“牛”の字がはがれ丼太郎になっている状態でした。パチンコのパの字がはがれた状態に近いものがありました。しかし、

剥がれたんじゃなくて剥がした跡だったようですね。それに「どんたろう」ではなく「どんぶりたろう」だそうです。
屋号読み「どんぶり太郎
牛丼太郎の運営会社が2012年に債務整理に入る前に従業員の有志に代々木とこの茗荷谷の店舗を営業譲渡して残りの店舗を閉鎖したようです。その後、代々木店を店舗の賃貸契約切れとともに閉鎖。この茗荷谷店へ力を集中させているようです。おそらく、『牛丼太郎』という商標は破産管財人の管理下にあって使えなくなったのでしょう。金太郎みたいなマスコットは商標登録してなかったんでしょう。なので使っている、と。あの腹がけ、“どんぶり勘定”の語源ですからどんぶり太郎で間違っちゃいませんな。

Wikipediaでは、BSE問題でダメージを受けたような記述がありますが、僕の記憶ではその前の1993年の米騒動で米の確保に失敗し、飯がとんでもない状態になっていた記憶があります。
僕自身もあの時期から足が遠のいたおぼえがありますね。

現在は味に関しては復旧。ただ店舗内装は徐々に古さが目立ち始め通常の外食ビジネスではとっくに更新時期を迎えたレベルなんですが、なんというか、香ばしい「闇市の飯屋」感がかすかに出始めてますね。浅草地下街の福ちゃんの佇まいを目指すのもありですかね。



手前からサンクス、どんぶり太郎、松屋、なか卯
並びには松屋となか卯、春日通り向かいにモスと日高屋と庄屋、茗荷谷駅入り口方面には拓大側に王将、エクセルシオール、駅前にマクド、その他個人経営店多数という結構な激戦区。

こんな中で生き残ってます。開店した飲食店の半数が二年以内に閉店と謂われるなかでのこの実績は評価されるべきでしょう。

このどんぶり太郎の目玉というか、他の店は手を出さないメニューが、

納豆丼 と 納豆キムチ丼

ようはそれぞれのものをのっけただけ。納豆とライスを出すのと違う所は納豆がすでに練られていてそれなりに考えた味付けがなされている点。しかしこれは、タブーに踏み込んでしまってる感じがあります。

これを初めて眼にしたとき怒涛のような「やっちまったね」感がおしよせて来たが、物珍しさに負けて注文してしまった。

以来この店にはこの納豆丼を食べる時だけ行く状態だ。

納豆丼¥220。 豚汁¥130。 冷奴¥100。



手前左 納豆丼 右 冷奴 奥中央豚汁
この三点で¥450也。


夜間店舗全景 どんぶり太郎だけ看板照明無し
夜は、看板の照明も点けずに節約してやってます。


 こちらには他にも関東地方の旅行に役立つブログがございます。


関東旅行 ブログランキングへ

2016年3月28日月曜日

カシオペア最終運行便の上野到着に集まった人々。

3月21日(月・祝)のカシオペアの定期列車最終運行の上野駅到着を見てきました。


地平15、16番線。ときわ号回送待ち14番線からカシオペアをひと目
まぁ、凄いですよ。カトリック信者がローマ法王を迎えるかのようなある種の熱狂ぶり。

列車全体どころか、機関車の顔もろくすっぽ見えやしない。
14番線LCD画面林立14番線肩車でベストショットを狙う子供
14番線 カシオペアはいずこ?14番線 カシオペアは他人のLCDの中 13番線閉鎖中

白状すると、例の騒乱状態。「大罵声大会」も少し期待していたのですが、鉄道警察以外の近隣警察署からも応援があったようで制服警察官の大量配置で上野駅に関しては騒乱はありませんでした。なにせ、東京駅Suicaの時は大変なことになってましたからね。


特別警戒中の警察官


上野駅を退去したあと、たぶん居るだろうと思って田端、尾久の辺りを車で回ってみますと、いますねぇ。たぶん上野へひた走るカシオペアを撮影した後、回送列車を待ってたんでしょうね。

輸送中心の鉄道員的な感覚からは大量の乗客ではない存在がプラットホーム上を占拠する状態は異常な状態なんでしょうが、現代は輸送のみでお金を稼ぐ時代じゃないのでエキナカ店舗でお金を使ってくれる可能性を持つ存在は無視できないのでしょうね。


尾久にエキナカはないですが、どこかのエキナカで吸い上げればいい訳でね。JR東の営業サイドからみれば、どこか蔑みつつも改札の中に入ってさえいれば○○駅の“エキナカ”という超大規模店舗のどこかでお金を使うだろうという値踏みをしてしまうと、顔がお金に見えてくるでしょう。一人五百円とかでも数が凄いですから。


有名な踏切尾久駅東側の路地
興奮して違法な領域に踏み込まないよう願うばかりです。



 こちらには他にも関東地方の旅行に役立つブログがございます。


関東旅行 ブログランキングへ

2016年3月23日水曜日

船橋オートレース最終開催終了 かつて船橋サーキットがあったこの場所に次は何ができるのか?


蜃気楼

こけら落としの船橋CCCというレースは設立されたばかりでレース運営の場面でまだ未熟で権威の無かったJAFが自動車メーカーから主導権を奪おうとしてそれまでに二回、鈴鹿で開催された日本グランプリを中止した後代替え開催したイベントだった。

その大義名分は[クラブ中心主義、クラブ育成]

とはいうものの実情はメーカーチームに好き勝手されたのでより御しやすい富裕な家庭の子息中心に組織されたカークラブ相手で組織固めをしたいと思ったようだ。がそうは甘くない。決しておとなしくはなかったのだ。当時のお金持ちの子供は命令に従うことに慣れていない。
それにこのレースの出場者のうちの相当な人数がこれ以後の日本のカーレースの世界のメインストリームとなって行く。


再生リスト 船橋サーキットの蜃気楼

東京や横浜にも近く、こけら落としのレースの成功と相まって船橋は南関東のモータースポーツのメッカとなるかに見えたが、細部の運営やホスピタリティに問題があったようで、
外人モータージャーナリストのピーター・ベラミからは「トイレが足りない汚い、食事が貧相で不潔」とこき下ろされるくらいの酷さ。これでは主要な顧客となりそうな裕福な家庭の子息やデート相手の女子は取り込めない。今、21世紀の自分なんかが考えてもええとこのぼっちゃん嬢ちゃんの社交の場にしても面白いなんて思うがそんな知恵も浮かばなかったんだろう。


開業前から船橋サーキットに出入りしていてこんな時に知恵を授けてくれそうな地元のヒーロー浮谷東次郎は船橋CCCの1か月後鈴鹿であっさり死んでしまう。生きてれば彼にサーキットの経営を任せるのも面白かっただろう。

そんな中、半年遅れで富士スピードウェイが完成、開場する。

船橋に打撃を与えるべく富士の走行料はギリギリまで低く抑えられて'65年開催されなかった日本グランプリを、鈴鹿開催時に採られた、「鈴鹿に多額の使用料を払う」形ではなく、富士が「JAFに誘致料を払う」形にして力技で開催権を奪いとったのである。
これでサーキットへ向かう人の流れが変わったのか、非常に速いスピードで開業した船橋サーキットは終わるのも速くたった2年で閉鎖されてしまう。閉鎖が決まった途端富士が走行料を大幅に値上げしてきた。

開業までの期間が短すぎて事前に正しい目論見を立てられなかった丹澤氏は1億6千万の赤字という現実を目の当たりにして早い段階で撤退を決め、JAFには「振り回された」ときっぱりあきらめて、船橋競馬場からの早期の退去を迫られていた船橋オートの上物のオーナーよみうりランドへ土地の貸借関係を売りこみ始めた。よみうりランドにとっても渡りに舟、問題は金額だけ。それも突合せですぐ解決。船橋サーキットはたったの2年間で蜃気楼のように消滅してしまった。彼は優秀だが冷徹な企業家だったのだ。自分にできない事だと悟ったのだろう。

この2年間で船橋でJAF競技ライセンスを取得した者約3000名。このうち今も船橋で取得したライセンスを更新し続けるジサマバサマがいるかどうかは不明だ。



船橋サーキット後

その後、ヘルスセンターが廃業してららぽーとになったり巨大迷路なんて下らんものができたり、無くなったり。ああ日本初のドライブインシアターもここだったっけ。

そして、
スキードームザウス


20030927 27 September 2003 SSAWS Spring Summer Autumn Winter Snow 1 Funabashi Chiba Tokyo Japan.jpg
By Morio - photo taken by Morio, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=475921
このザウスは開業以来廃業まで冷却の電源を一回も切れなかったという高コスト施設。景気の低迷とそれとは裏腹な日本の国力の相対的な上昇で世界どこへでも行けるようになり意味を失ってしまった。

この区画に出来た施設は永続的な施設ができないジンクスがあるみたいだ。尤もこの施設が東日本大震災に見舞われた時のことは想像したくなかったのでよかったけどね。

スキードームザウスが開業して廃業したりして時代は移り変わってもオートレースは存続していたし、2002年にはさらに35年の土地の貸借契約を更新したが、この後、どうもIKEAが出来た頃から地域の雰囲気が変わったのではないだろうか?ザウス跡には高級そうな装いのマンションが建ち、マンション販売時に船橋オートは潰れますなんてセールストークがあったとか無かったとか、きちんとレース開催時に内覧しているプロ市民臭いマンション購入者がオートレースの騒音について告知が無かったなんて裁判起こして棄却されたりしていたようだ。

そしてとうとう一昨年あたりから周辺の新住民からの閉鎖への圧力が高まり顔の見えない群衆に負けたという事なんだろう。

船橋オートレース側からの地域への迎合もちょっと遅きに失したようなところが大いにある。一昨年あたりからあわてて色んな施策をうちだしていたがいずれも効果がでるまで長時間必要な事ばかり。

再生リスト:閉鎖決定後の船橋オートの企業努力


なにより地域の構成員がガラリと変わり雰囲気が変わったことでギャンブル施設へ通う層の人がここへ来る道中微妙な白眼視に晒される場面が増えたら厭だろう。

ちょっと下品なおじさんたちは「船橋競馬も中山も大井も平和島だってあらぁな。何なら川崎だって。」ことになる。

綺麗になっていく町に取り残されたぼっちなギャンブル施設という状態だったのではないか?
いずれにせよもう終わってしまった。





跡地に何ができるかはわからないが、敷地大きいから、

いっそのこと最新式できれいな排気のゴミ焼却施設なんていかがでしょうかね?

要するにこれを言いたかっただけなんだけどね。
ゴミ毎日収集とか粗大ごみ収集無料とか運動すればよろし。



 こちらには他にも関東地方の旅行に役立つブログがございます。


関東旅行 ブログランキングへ

船橋オートレース最終開催終了 船橋ヘルスセンターと船橋サーキット

船橋オートレースの最終開催が終了しましたね。



閉鎖の理由は主に収益悪化が原因だそうですが、この場所は高度成長期からさまざまなものが作っては壊されを繰り返した所でそれらのなかでは一番長く保たれたのが船橋オートレースでした。

オートレース発祥の地と云われてますが、1950年秋に開業した時は船橋競馬場のトラック内側にダートコースとしてオープン。この地へは1967年に、現在伝説とも幻とも語られる船橋サーキット跡地にアスファルト舗装オーバルコースを建設して移転

舗装路、1周500mのオーバルというフォーマットを編み出したのは大井競馬場の北側隣接地に1954年にオープンした大井オートレースだそうですからオートレース発祥についての解釈は色んな見方ができますね。この船橋オートも大井オートをモデルにしてコース設計をされています。(大井オートレースは1970年に八百長事件でライダーに多数の逮捕者を出して美濃部都政下の公営ギャンブル廃止政策の標的となり1973年に廃止されている。)




船橋ヘルスセンターと船橋サーキット
この地は埋め立て地として誕生し、天然ガスの試掘でガスと温泉が出たため今のららぽーとの所に朝日土地興業の手で1955年に船橋ヘルスセンターという今でいうスパリゾートハワイアンズのような観光施設がオープンする。海側のエリアは当初余剰地だったが、創業者子息の丹澤章浩氏が主導して人工ビーチや軽飛行機による遊覧飛行の滑走路を設置する。




さて、まだ余った土地がある。

一方、1964年に日本通運が設立した日通伊豆観光開発という会社が伊豆の韮山にサーキット建設を目論み、元F1レーサーのピエロ・タルッフィを招聘して現地視察してもらうが、

用意された用地が足りない上にさらに買い増ししても各種法令で開発が不可能なことが判明。日通の計画は頓挫する。



しかし、タルッフィの日本滞在中に銀座の社交の場でマキノ正美氏(俳優の林正美。のちにJAF会長)から丹澤章浩氏へ話が通る。「次は、サーキットをやってみないか?」てなもんで。


これは、タルッフィを招聘したのに仕事を依頼できないままカラ手で帰す事になりそうな日通が八方手を尽くしていたところに芸能界と当時の特権階級的な自動車オーナー達の両方に顔が利くマキノ氏がウマくはまったようだ。


当時、船橋ヘルスセンターでは余興のステージに北島三郎氏や村田英雄氏といった一線級を出演させており、その際に余禄として遊覧飛行をプレゼントしていてその他の歌手たちも遊覧飛行を楽しみにして出演依頼を受けていたという。その辺りから船橋ヘルスセンターにはまだ広大な余剰地が残っていることがマキノ氏へ伝わっていたと思われる。そこに、歳の頃40台前半。父親の立ち上げた事業で大滝滑りを始め数々のアトラクションを企画し、そのことごとくを当てたアイデアマン。英国製スポーツカーMGやロータスを乗り回す伊達者のカーマニア。旺盛な事業欲をフェロモンのようにぷんぷんとまき散らす丹澤氏がザギンを肩で風切って歩いていれば声をかけたくもなりますわな。


コース設計の仕事がポシャってがっかりしていたタルッフィは飛んでくる。遊覧飛行もしたかもしれない。韮山の酷い条件を見た眼にはまばゆい広大で平坦な土地。
「なんと整地まで終わってるじゃないか、鉄道もある。細いが国道も近い。やろう、すぐやろう。工事は半分終わってるじゃないか!」

さぁやるぞ、と動きだしたのが'64冬で、そこからタルッフィが図面を引いて施工は清水建設。'65年7月18日にはこけら落としのレース、『全日本自動車クラブ選手権レース(船橋CCC)』が開催された。すでに整地されていた土地だったとはいえ、凄まじいスピードです。

船橋サーキットをCG動画で再現なさった方がいらっしゃいます。
動画中走るのは、現実にはここを走ることは無かったホンダRA300 操るはBIG JOHNことジョン・サーティースという妄想上の競演です。










 こちらには他にも関東地方の旅行に役立つブログがございます。


関東旅行 ブログランキングへ

2016年3月9日水曜日

もうすぐ始まる。花見の季節。梅Ⅲ 越生は梅の里

越生梅林



越生梅林正面 スナップフォト

関越の坂戸西スマートI.Cから約12kmおよそ20分で到着します。
現地の駐車料金は一回500円。梅林入場料が200円かかります。

ここは前回、前々回の梅林とは違い平野の農村にあり、梅畑の一部を観光梅林として公開している体裁です。


越生の梅越生の梅
越生の梅越生の梅

前回、前々回の梅林より木の密度、本数ともに濃いためこの日の無風の天候とあいまって濃い香りが漂っています。

木の種類(白加賀)と本数から言って受粉は養蜂家を招へいして蜜蜂たちの労力に頼るため時期によっては蜜蜂たちが忙しく行きかう事もありましょうから蜂が苦手な方は地元農協にお問い合わせの上、訪問のタイミングを調整なさると良いでしょう。今年はもう完了したようです。蜜蜂が可愛くて々々という方もまた然りで。

越生の梅越生の梅 

梅林の傍らにはこの越生町を源流とする越辺川があり誠に風流。

越生の梅

さて、この梅林の守り神的な梅の木がいらっしゃいました。

推定樹齢680年弱。南北朝期に植えられたというんですからただ沈黙するしかありません。

銘もついてまして 魁雪 と。雅ですな。

越生の守り神 魁雪

越生の梅 魁雪




 こちらには他にも関東地方の旅行に役立つブログがございます。


関東旅行 ブログランキングへ

2016年3月3日木曜日

もうすぐ始まる。花見の季節。梅 Ⅱ 田浦の梅林だと思い込んで隣の山の塚山公園に突進した話


この日は前の日に引き続き写真撮影の練習にどこか梅林へと思ってまして、午前中家事かたづけながら、「田浦の梅林行こう、確か塚山公園と云ったっけ。あの十三峠のとこだよな。」と完全に最初のとこで間違ってまして。田浦の梅林は田浦の梅林なのにねぇ。


さてどう行く?「横須賀線の田浦からの々字橋か、逸見から階段上がるか。」と5秒くらい思案して、「横須賀線は高いし、初めての安針塚駅で降りて行こう。と決めて確認もせず出てしまいました。
横須賀線の田浦ならのぼり立ってたんですぐ気付いたんでしょうが。


田浦の梅林と塚山公園



それぞれ、の間は直線で1kmなんですが道を行きますんで結構ありますな。

それに安針塚駅から最短距離で塚山公園に到達しようとして藪に突入してしまいました。結果的には無事抜けたんですが、塚山公園に着いてから「あれ?この木々は桜だね。」と気づいた次第です。下の画像は過去のストックです。

神奈川県立塚山公園の桜

藪に突入した件は下の動画をどうぞ。


それから国道を歩いて、田浦梅林へ到着したのは18:00ちょっと前。
結局暗い環境での撮影の練習になりました。

数枚何とか、というところでした。
田浦梅林銘柱田浦梅林 ストロボ使用

田浦梅林
HDRモードで撮影

この日訪問した所は二か所とも自動車での訪問は不可能です。京急か横須賀線でのご訪問を。国道には京急バスが頻発運転されており便利に使えます。



 こちらには他にも関東地方の旅行に役立つブログがございます。

2016年3月2日水曜日

もうすぐ始まる。花見の季節。梅Ⅰ 神奈川県 湯河原町 幕山公園。

日本というのは、花がいっぱい咲きますわな。



春は梅から始まって、桜、つつじにサツキ、初夏のあやめ、かきつばた、花菖蒲。夏の朝顔、秋の菊。冬にすら、山茶花と椿が咲いてくれます。



去年、都内の桜の名所をほっつき歩いた時に聞こえてくるのが、中国語、中国語、 中、 国、 語。

その時私は、このソメイヨシノの咲く態(さま)は、明確に日本の観光資源になってるんだな、とぼんやり思ったんですな。

桜、それもソメイヨシノだけが脚光を浴びるのはもったいないと思ったんですよ。

今年は、桜の花でも追っかけてみようかなと思ったわけで。

まず、構成や撮影の勘ドコロを探りがてら梅からやっていきます。


神奈川県湯河原町幕山公園



幕山公園 幕山の麓

梅梅

梅梅
梅梅

ここは純然たる観光梅林というわけではなく登山道の途中に梅林が広がってる形態となってます。独特の雰囲気がありますが足場がかなり悪いです。

梅とロッククライマー
梅林の一番高い場所にあたる地点のすぐ近くがかなりハードなロッククライミングの名所となっているくらいの山岳になってます。

バスは湯河原駅から箱根登山バスが来てます。終点なので判りやすいです。

湯河原からのバス




 こちらには他にも関東地方の旅行に役立つブログがございます。


関東旅行 ブログランキングへ