蜃気楼
こけら落としの船橋CCCというレースは設立されたばかりでレース運営の場面でまだ未熟で権威の無かったJAFが自動車メーカーから主導権を奪おうとしてそれまでに二回、鈴鹿で開催された日本グランプリを中止した後代替え開催したイベントだった。
その大義名分は[クラブ中心主義、クラブ育成]
とはいうものの実情はメーカーチームに好き勝手されたのでより御しやすい富裕な家庭の子息中心に組織されたカークラブ相手で組織固めをしたいと思ったようだ。がそうは甘くない。決しておとなしくはなかったのだ。当時のお金持ちの子供は命令に従うことに慣れていない。
再生リスト 船橋サーキットの蜃気楼
東京や横浜にも近く、こけら落としのレースの成功と相まって船橋は南関東のモータースポーツのメッカとなるかに見えたが、細部の運営やホスピタリティに問題があったようで、
外人モータージャーナリストのピーター・ベラミからは「トイレが足りない汚い、食事が貧相で不潔」とこき下ろされるくらいの酷さ。これでは主要な顧客となりそうな裕福な家庭の子息やデート相手の女子は取り込めない。今、21世紀の自分なんかが考えてもええとこのぼっちゃん嬢ちゃんの社交の場にしても面白いなんて思うがそんな知恵も浮かばなかったんだろう。
外人モータージャーナリストのピーター・ベラミからは「トイレが足りない汚い、食事が貧相で不潔」とこき下ろされるくらいの酷さ。これでは主要な顧客となりそうな裕福な家庭の子息やデート相手の女子は取り込めない。今、21世紀の自分なんかが考えてもええとこのぼっちゃん嬢ちゃんの社交の場にしても面白いなんて思うがそんな知恵も浮かばなかったんだろう。
開業前から船橋サーキットに出入りしていてこんな時に知恵を授けてくれそうな地元のヒーロー浮谷東次郎は船橋CCCの1か月後鈴鹿であっさり死んでしまう。生きてれば彼にサーキットの経営を任せるのも面白かっただろう。
そんな中、半年遅れで富士スピードウェイが完成、開場する。
船橋に打撃を与えるべく富士の走行料はギリギリまで低く抑えられて'65年開催されなかった日本グランプリを、鈴鹿開催時に採られた、「鈴鹿に多額の使用料を払う」形ではなく、富士が「JAFに誘致料を払う」形にして力技で開催権を奪いとったのである。
これでサーキットへ向かう人の流れが変わったのか、非常に速いスピードで開業した船橋サーキットは終わるのも速くたった2年で閉鎖されてしまう。閉鎖が決まった途端富士が走行料を大幅に値上げしてきた。
開業までの期間が短すぎて事前に正しい目論見を立てられなかった丹澤氏は1億6千万の赤字という現実を目の当たりにして早い段階で撤退を決め、JAFには「振り回された」ときっぱりあきらめて、船橋競馬場からの早期の退去を迫られていた船橋オートの上物のオーナーよみうりランドへ土地の貸借関係を売りこみ始めた。よみうりランドにとっても渡りに舟、問題は金額だけ。それも突合せですぐ解決。船橋サーキットはたったの2年間で蜃気楼のように消滅してしまった。彼は優秀だが冷徹な企業家だったのだ。自分にできない事だと悟ったのだろう。
この2年間で船橋でJAF競技ライセンスを取得した者約3000名。このうち今も船橋で取得したライセンスを更新し続けるジサマバサマがいるかどうかは不明だ。
船橋サーキット後
その後、ヘルスセンターが廃業してららぽーとになったり巨大迷路なんて下らんものができたり、無くなったり。ああ日本初のドライブインシアターもここだったっけ。
そして、
スキードームザウス
By Morio - photo taken by Morio, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=475921
このザウスは開業以来廃業まで冷却の電源を一回も切れなかったという高コスト施設。景気の低迷とそれとは裏腹な日本の国力の相対的な上昇で世界どこへでも行けるようになり意味を失ってしまった。
この区画に出来た施設は永続的な施設ができないジンクスがあるみたいだ。尤もこの施設が東日本大震災に見舞われた時のことは想像したくなかったのでよかったけどね。
スキードームザウスが開業して廃業したりして時代は移り変わってもオートレースは存続していたし、2002年にはさらに35年の土地の貸借契約を更新したが、この後、どうもIKEAが出来た頃から地域の雰囲気が変わったのではないだろうか?ザウス跡には高級そうな装いのマンションが建ち、マンション販売時に船橋オートは潰れますなんてセールストークがあったとか無かったとか、きちんとレース開催時に内覧しているプロ市民臭いマンション購入者がオートレースの騒音について告知が無かったなんて裁判起こして棄却されたりしていたようだ。
そしてとうとう一昨年あたりから周辺の新住民からの閉鎖への圧力が高まり顔の見えない群衆に負けたという事なんだろう。
船橋オートレース側からの地域への迎合もちょっと遅きに失したようなところが大いにある。一昨年あたりからあわてて色んな施策をうちだしていたがいずれも効果がでるまで長時間必要な事ばかり。
再生リスト:閉鎖決定後の船橋オートの企業努力
なにより地域の構成員がガラリと変わり雰囲気が変わったことでギャンブル施設へ通う層の人がここへ来る道中微妙な白眼視に晒される場面が増えたら厭だろう。
ちょっと下品なおじさんたちは「船橋競馬も中山も大井も平和島だってあらぁな。何なら川崎だって。」ことになる。
綺麗になっていく町に取り残されたぼっちなギャンブル施設という状態だったのではないか?
いずれにせよもう終わってしまった。
いずれにせよもう終わってしまった。
跡地に何ができるかはわからないが、敷地大きいから、
いっそのこと最新式できれいな排気のゴミ焼却施設なんていかがでしょうかね?
↑要するにこれを言いたかっただけなんだけどね。
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