2013年7月30日火曜日

渋谷~錦糸町Ⅴ 京成町屋~京成関屋

町屋駅は一応三路線の乗り換え駅なのだが、京成の駅には優等列車が止まらない。昔はたしか中途半端な存在となっていた“急行”なる種別の列車が停まっていたと思うんだが、今、手許に確固たる資料も無いのではっきりとはしない。が、たぶんそうだ。
京成町屋駅ホーム1
京成町屋駅ホーム2


だもんで電車を待ってるとたいていは一本、多い時は上下線ともに通過列車を見送ることがある。
いみじくも三路線の乗り換駅だ。その上、隣の千住大橋駅に快速が停まるのも解せない。乗り換え駅でもないのに。
快速は、これから向かう千住大橋の向こう隣りの関屋も通過する。関屋の駅前には東武の牛田駅があるのにね。なんだか乗り換えさせずに終点まで載せたいのか?と勘繰りたくなるよな。これ何か?ちゅうと、乗り換え駅の町屋と関屋の間の千住大橋駅に快速を止めてるのだ。乗り換え駅でない千住大橋に。

千住大橋駅の立地を見ると駅直近の地域の他墨堤通り北側のある部分までは北千住より千住大橋駅の方が便が良さそうだ。つまり対上野の利便性を見据えての快速停車の選択ということになる。一方、関屋は対浅草の乗客注ぎ込み防止と青戸以東よりの押上線への乗り換え促進からの優等列車不停車。町屋駅は対千代田線、西日暮里及び湯島駅の乗客注ぎ込み防止のためだろう。表面的な部分を理解するならそういうことだろう。


しかし、そこには東武と京成の黒い歴史が横たわっていた。暗闘の歴史が今もしこりを残している。


                           

 

主なキーパーソンは以下の五人

東武社主 根津嘉一郎、

京成社長 本多貞次郎

京成専務 池上電鉄専務 後藤國彦、

京成総務部長にして読売新聞社社主 正力松太郎、

当時の目黒蒲田電鉄専務、武蔵電気鉄道常務 後の東急総帥「強盗慶太」こと五島慶太。

そしてピエロ的な存在として「筑波高速鉄道」という、東京から筑波への免許を保持する会社がしゃしゃり出て場の空気を読まずに行動し予想し得なかった結果を紡ぎだしてしまう。

昔、京成の本線は今の押上線筋で終点は地上駅の押上駅だった。その隣は今の東武の業平橋駅、旧浅草駅だ。京成と東武はともに浅草花川戸への乗り入れを目指しそれぞれ運動を展開していて、一時期は、両社の運動が実り、浅草乗り入れが実現する運びとなったあかつきには、二社合同で隅田川に2複線並列の橋梁を掛け共に川を渡ろう、という構想もあったそうだ。

ところが認可を受けられたのは東武のみだった。それは1924年(大正13年)12月の事。
東武の根津は最終的には京成をモノにするつもりでいたらしい。京成の後藤が兼務する池上電気鉄道と敵対する目蒲の五島を味方につけている。

五島慶太の出身母体の鉄道省が、一度は京成に客を奪われた両国始発の省線総武線の両国~千葉間を電化の上、両国~御茶ノ水間に高架線を建設して電車運行の計画を打ち出してくる。五島は根津とつるんで東京成芝電鉄という京成に対する牽制だけを目的にしたような会社の設立を主導してくる。

その後も京成は粘り強く申請を行うが、東武の根津嘉一郎の隠然たる影響力のためか東京市議会にことごとくはねつけられ焦った京成陣営首脳は正力主導で市会の要所へ実弾攻撃を敢行してしまう。「墨田川を渡り、浅草まで達しさえすればその後になんぼ逮捕者を出しても構わん」というような、捨てばちな心境があったのかもしれないがこれは拙かった。実弾散布を行ったと思しき時期から市会での可決をはさみ半年も経たないうちに全ては白日の下に晒された。まるで予め手順が決まっていたかのように。

世にいう京成電車疑獄事件である。1928年(昭和三年)9月の事だ。

京成側から社長の本多、専務の後藤を含む多数の収監者を出し、最終的には京成の浅草延伸の望みは断たれてしまう。正力も執行猶予付きの有罪判決をうけた。

一方で、筑波高速鉄道なる一団が頓挫した免許を東武に売りつけるために根津の許を訪れたという。

京成、万事休す。これで、根津が買収を決断したら将棋でいう詰みである。プロ棋士なら投了する。東武が買収に成功したなら、筑波高速の千住付近の経由地を自社の北千住駅経由へ変更しここ以南の日暮里までの免許は廃止してしまうだろう。ゆっくりと野田か流山辺りまで建設して貨物輸送も含めた営業を始めて、京成を充分弱らせてから敵対的買収でもなんでもしかけてくるつもりなんだろう。

しかし、初めに会社の身売りを持ちかけた相手の根津が値切るために決断を留保したため敵対陣営の京成に話を持ち込むという思い切った行動に出る。
東武にとっては、この筑波高速の買収は将来の京成の買収への必須のマイルストーンであり絶対避けては通れなかったはずだが、浅草への隅田川橋梁建設で大きな借入が決まっていた上相手をなめていたためかつい値切ってしまった。あるいは、誰かを抱き込んでいて好きなように操れると思っていたのかもしれない。

最終的に筑波高速の免許は京成の手に落ち、筑波高速首脳陣は京成取締役の座の一隅を占めることとなる。

京成による筑波高速の吸収合併が決まった後、筑波高速首脳陣が根津のところにあいさつに赴いたところ、実業家同士とは思えぬような語気で口汚く罵られたらしい。のこのこと根津のところにあいさつに行くあたり筑波高速首脳陣がiいかに空気を読めていなかったかがよくわかる。

京成は命脈を回復し東武の根津嘉一郎は京成征服に必須の足掛かりを失った。

京成は青砥~現隅田川橋梁付近の認可を得て町屋・三河島経由で日暮里へ入る道筋を得る。
これが現在の京成本線の日暮里~青砥である。1931年12月に新本線は開業した。その際、東武線との並行部分、東武の堀切駅と墨堤通り沿いの東武デリバリー倉庫の奥にあった現在廃駅となっている中千住駅の間に関屋駅を開業して両駅への睨みを利かせたら、翌年9月に東武側は関屋駅の目の前に牛田駅を開業してきた。牽制に対する牽制だ。ここまでならまぁ過熱した商戦ということでならありそうな話だが、嵌めた嵌められたの話がまだ続く。

1933年(昭和三年)7月。根津側に着いて援護していた五島慶太が、京成専務の後藤國彦が専務を兼務していた池上電鉄の株式の、京成・池上両者の大口出資者である東京川崎財閥が保持する分を直談判の上入手して、池上電鉄から後藤を追い出してしまった。

しかしその三か月後、第15代東京市長 牛塚虎太郎の選挙資金が五島が社長を務める目蒲電鉄から出されたという疑惑が持ち上がる。これは匿名の投書により“指された”事件で、これがために五島慶太は半年もの間市ヶ谷刑務所(新宿区富久町・現在の都立総合芸術高校付近一帯)に収監されてしまう。

どうも、この件を“指した”のは、正力松太郎なのではないかという着想が容易に得られるのだ。

まず、正力が以前、警視庁の警務部長で皇太子裕仁親王殿下への暗殺未遂事件の責めを一身に背負って懲戒免官となり捜査関係者に影響力を及ぼすことが可能だった事。京成疑獄事件以前に正力が政界の寝業師三木武吉と組んで東京市長選に打って出る準備にかかっていた事。それが京成疑獄でおじゃんになった事。牛塚が正力と同じ富山の射水出身である事。そして牛塚が明確に五島の側に付いていた事だ。正力は、自分の苦境に自分の野望を掻っ攫った同郷の牛塚を憎らしく思っていたのではないだろうか。それに、後ろ盾の五島は根津と組んで自分達を嵌めた奴と思っていたら、隙を見つければ指せるものは指すだろう。

実業家同士だから、殺した殺されたにはならないのだが当人同士しばらくは生きていて「手打ち」がない分どんよりとわだかまりは後を引き「過去は水に流して」とはいかないようだ。

さすがに今では関屋駅と牛田駅では連絡運輸を行い、京成側では乗り換え案内はするが「東武スカイツリー線」ではなく単に「東武電車」としか案内しない。

京成上野駅には東武のとうきょうスカイツリー駅の案内ポスターが掲示されるようになっているが、一方、町屋駅には“スカイツリーへは京成で青砥経由、押上下車が便利です”などと明記されている。協力したり、足を引っ張ったり一貫性が無い。握手しながら足を踏んづけあうような微妙な関係だ。
もしかしたら浅草駅では“成田空港へは京成が便利で速い”ポスターがあるのかもしれない。そうなら京成上野駅と浅草駅だけのバーター提携かもしれない。部分的な和解は始まっているのかもしれないが東武の方がいまだに根津家の世襲色の強い状態が続いているので全面的な和解はまだちょっと先の事だろう。


東武牛田駅
京成関屋駅
関屋駅及び牛田駅 駅前
牛田駅構内の牛丼の松屋
牛田駅改札から関屋駅脇の店舗群を臨む

しかし利用者は、勝手知ったる他人の家とばかりにずんずんと乗り換えていく。関屋駅と牛田駅が共有する駅前はささやかな商圏を形成していてありがちな立ち食いそば屋のほか、ファミマとマクドナルドと松屋が客を待ち構えているほか良さげなトロピカルなステーキハウスまである。墨堤通りをはさんだ川沿いには不思議なプレイスポットがありなんでマンションでも建てないんだろう?と思いながらも私はたまに速いゴーカートに乗って遊んでいる。小商人は東武と京成の憎しみに満ちた黒い過去のうえに商機を見出しているのである。貧乏臭さが残る界隈ではあるが東武の堀切駅から京成の千住大橋駅の墨堤通り周辺は鉄道便利地域になっている。

皮肉なものだと思う。

参考文献鉄道未成線を歩く (私鉄編) JTBキャンブックス
【京成電気軌道浅草線】
【筑波高速電気鉄道】
参考Web Site
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京成電車疑獄事件


正力松太郎


五島慶太


根津嘉一郎 (初代)


三木武吉


京成関屋駅


牛田駅 (東京都)


中千住駅


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