2013年10月3日木曜日

妄想劇場~京成疑獄Ⅰ~

「正力さん、本当にそんな方法しか無いのかい?俺はなんだか嫌な予感がするよ。」

「後藤さんこれはもう根津の爺イの罠かもしれないが、隅田川を渡らにゃジリ貧でやられてしまう。最初に墨田川を渡ろうという話になっててんでばらばらにやってた時に現場の工務同士じゃ話が出来てたんだ、『一緒に橋をかけるぞ』てなもんで。それがあのゴシマの野郎が根津とつるむようになってなんだかおかしくなって来やがったんだ」

正力は後藤圀彦と苗字の読みが同じ五島を、呼び捨てにするためにゴシマと呼んでいた。その上、東京市長の座を狙う上で敵対する同郷の牛塚が五島に接近していることにも苛立っていた


一方、東武の根津嘉一郎は「東武と京成で一緒に隅田川に橋を架けよう」なんて言ってる頃から大きな野望を抱いていたようだ。

こういうことではないだろうか?「今の東武と京成が将来浅草花川戸に駅を並べて設置するのは素晴らしいことだ。だが、その実現は東武の名のもとに行われなければならない。東武と京成、ではなく全て東武で。」

1923年(大正12年)頃から東武と京成は隅田川を渡るための申請を出願していたが、市内交通の市営一元経営主義を強硬に主張する東京市の抵抗により実現しなかった。が、翌年末1924年12月に東武にだけ路線免許が交付された。大きな政治力が働き東武により最初の重要な布石が打たれた。さらに、この後京成征服をにらんだいくつもの布石が打たれていく。

まず、未電化の上両国止まりとなっていた省線総武線が京成に奪われた乗客を取り戻すべく両国~千葉間は電化の上両国~御茶ノ水間に大出力の電動機搭載の高速電車の運行を前提とした大規模な高架線を建設することを発表する。今の秋葉原~御茶ノ水間の見事な高度を走る高架線区間を含む路線だ。蒸気機関車では登坂は不可能だし遥かな頭上から火の粉が降ってくるのは防火政策上非常に拙い。電車でなければ運行できない新路線だ。
これは鉄道省出身で電鉄会社経営者となった五島慶太の示唆があったのではないだろうか?


次に、1925年(大正14年)に東京成田芝山電気鉄道という完全に京成の路線地域に競合する嫌がらせのような新会社が設立された。この会社の発起人の中に根津嘉一郎と五島慶太が含まれている。これはもう、含まれているどころでは無くこの二人が主導していると思って良いだろう。

この会社に1927年(昭和2年)、免許が交付されてしまう。(ちなみにこの時の田中義一内閣の鉄道大臣は小川平吉という免許乱発で有名な馬鹿大臣で彼の任期中に交付された免許のうち、出願通りに開業できたのは御坊臨港鉄道【現在の紀州鉄道】の3kmと少しだけという惨状だった。)



五島と根津の間に以下のような話があったとかんがえると面白い。

「京成を嵌めるための罠の布石はほぼ打ち終わり、あとはそこに網を張ってやればいい。狙うは社長の本多と専務の後藤。しかし、この二人はなかなか罠にはかからんだろう。だれかいないか?」
「いた。総務部長の正力だ。数々の修羅場を剛腕で乗り切りのし上がってきた奴だが、詰めが甘く何度もドブに顔を浸すような目に遭ってる。」
「よし、奴を嵌めよう。今度も自分から嵌るだろう。」

正力松太郎は富山射水の有名な土建屋の息子で、長じて警察官僚となった。取締りも剛腕をもって知られ、数々の争議を力で抑え込み成果を出していた。しかし躓きも多く、大正12年の関東大震災の際に「朝鮮人が井戸や水道に毒を投げ込み暴動を起こす」というデマゴギーを意図的に流布してそれまで概ね誠実に生きてきた日本人からなる自警団が無辜の朝鮮人部落を襲撃し多数を虐殺するという地獄絵図を現出させてしまう。同じ年、警務部長時代に皇太子裕仁親王への暗殺未遂事件「虎の門事件」を防げず翌年懲戒免官に追い込まれていた。

さらに々々。

「根津さん、奴を嵌めるといってもきっかけになる餌はあるんですか?向こうも、東武への免許交付の裏に罠が張ってある事に感づいてますよ。」
「そこよ。要は危険を感じつつそこへ飛び込まざるを得ないだけの別の脅威を登場させればいい。」
「?」
「五島君、君はこの間例の筑波高速がまだ生きていて、再び出願する姿勢を見せていると注意を喚起してくれたね?」
「はぁ、でも間者に一人抱き込んだとおっしゃってましたよね?潰すためなんでしょう?」
「ふふ。最初はそのつもりだったがね、あれはほっといても潰れる。」
「ほぉ。」
「柿岡というところに逓信省の地磁気観測所があるんだそうだが、あれは電気を嫌うんだそうだ。国の研究所だから向こうは動かない。しかし筑波高速は全線電化とぶち上げるそうだ。」
「それじゃ、免許されないんじゃないですかね?」
「こちらが邪魔をしなければ免許は降りるよ、あの小川という大臣は相当馬鹿のようだ。京成を嵌めた後に観測所の件をつついて座礁させればいい。そのあとゆっくり間者を使ってウチに免許を売るように仕向けるのさ。」
「え?京成だけじゃなく筑波も?」
「筑波も、というより筑波を先に手にいれるということだ。いきなり京成に仕掛けたらこっちも傾くよ。筑波は日暮里から梅島を通すらしいがそれをちょっと曲げて北千住に入れる。で、日暮里~北千住間はポイだ。で三郷か野田あたりまで開通させてとりあえず醤油でも運ぶよ。そのあとゆっくり京成の株を集めてウチのものにする。」
「根津さん、あんた悪い人だね。」
「はっはっ、五島君、君だって池上を盗もうとしているじゃないか。ん?だが東を儂に任せてくれれば少なくとも邪魔はしないよ。わしら二人で関東を東西に分けて治めようじゃないか。わははは。」

まるで悪代官無しで悪徳商人二人が話してるようだが、もちろん私の妄想の産物である。しかし二人の間にこれに近い共通認識があったのではないかと考えている。





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