彼には彼なりの野望があった。政界の寝業師、三木武吉と組んで東京市長選に打って出る手筈を整えていた。その伝手を使って、
実弾をばら撒いてしまった。とにかく特許を得て隅田川を渡りさえすれば後でどうなろうと構わなかった。しかし自分たちをとらえた網は即座に引き絞られた。
実際に、行動を起こしたのが、1928年(昭和3年)5月以降。7月までの間。それが8月にはすべて白日の下に晒されているのである。もうこれはアレだろう。してやられたというしかない。しかも、自分の所有する新聞社以外の新聞各社から一斉に内幕が事細かに暴露される。
実に速やかで適確な捜査の結果、自分が巻き込んだ政治家、三木他計3名の他、自分の上司の後藤國彦、何としても守らねばならなかった京成電鉄社長の本多貞次郎まで収監されてしまう。
これはもう、「ドブに顔を浸す」どころではなく肥溜めに頭の先まで沈んでしまった位の恥辱だったに違いない。
自分の行動で各方面の要人が収監されてしまったのだから。当然東京市長選に打って出る野望もおじゃんである。今までどんな困難も、自分だけに降りかかることならば耐えて再び立ち上がりここまでのし上がった男、正力。まさに人生最大の恥辱。
頓珍漢な動きを繰り返す筑波高速は地磁気観測所の件で躓き空中分解寸前。おそらく、京成では無く、財力に余裕のある東武の根津に買収を働きかけるだろう。なんか、根津に抱き込まれている奴が要所にいるらしいし。根津の含み笑いが脳裏をよぎる。確実に、余計なことをせず筑波高速をモノにした後は時間をかけて京成を弱くしてから株を集めておためごかしに経営建て直しにとりかかるに違いない。自らの攻撃で経営を悪化させた会社をだ。
「根津だって、なにかをやっているのは判ってるんだ!」昔の部下や同僚、知己の検察官をつついて小川の周辺を引っ掻き回させるが根津の尻尾は見当たららない。
そのかわり、伊勢電やら東大阪電鉄、奈良電なんぞの真っ黒な金の流れがあからさまになり五大私鉄疑獄として大捜査が始まりそっちに力をとられ巧妙に痕跡を隠した根津を追い込むことは事実上不可能になった。
五大私鉄疑獄が目くらましになり、根津はまんまと逃げ切ってしまう。
「嗚呼、もう駄目か。ずっと後の人にはこの俺が京成を潰してしまったように見えるだろうな。」
京成に出社すれば通り過ぎた後にひそひそ話。労働組合の連中が通う居酒屋の小僧にスト潰しの時に小遣い渡してあったので、そいつからは「流石の“鬼松”も今度は駄目だろうなんていってましたぜ」なんてご注進。こりゃもう生きててもしょうがねぇ、首でも吊るか。否、にくい根津か五島の電車に飛び込んでやるか!
どうせ飛び込むならはなばなしく大勢の前で派手に吹っ飛ばされるようにと新聞社の自室で地図と時刻表で駅と列車を物色していると、京成本社から電話だ。
筑波高速の首脳陣が京成電鉄本社を訪れ筑波高速の買収を持ちかけてきたというのである。
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