船橋サーキットでの妄想行の余勢でもって今度は、丸子橋のとこの川崎側多摩川河川敷にあった多摩川スピードウェイのホームストレッチで幻視してきました。
えー、先月の6月って多摩川スピードウェイの開設80周年だったんだそうです。なんじゃそりゃですって?ご尤も。ま、上に埋め込んである動画を見てみてくださいな。
1936年5月、多摩川河川敷の、東横線の多摩川にかかる鉄橋のすぐ隣に1200mの変形オーバルトラックが完成したのです。ええ、あそこにそんなのがあったんです。
現在軟式と硬式の野球グラウンドが1つづつとサッカーグラウンド一面になってます。
えー、先月の6月って多摩川スピードウェイの開設80周年だったんだそうです。なんじゃそりゃですって?ご尤も。ま、上に埋め込んである動画を見てみてくださいな。
1936年5月、多摩川河川敷の、東横線の多摩川にかかる鉄橋のすぐ隣に1200mの変形オーバルトラックが完成したのです。ええ、あそこにそんなのがあったんです。
現在軟式と硬式の野球グラウンドが1つづつとサッカーグラウンド一面になってます。
今年5月に多摩川スピードウェイの会という集まりの方々がグランドスタンドの第一カーブ入り口寄りのところに顕彰タイルを埋めこんだそうなんです。
さて、現在の写真にコースのイメージを塗ってみましょう。色はセピアに。
グランドスタンド中央部付近上段より第一カーブ奥を望む
最終カーブ出口
ホームストレッチから第一カーブ
第一カーブドライバー目線
多摩川流域、登戸あたりから下流ではどこにでもありそうな風景ですが1936年の第一回全日本自動車競走大會ではこのグランドスタンドを中心に3万人もの観客を集め大盛況だったようです。
その衆人環視の中、町工場オオタ自動車の職人が組み立てたレース専用車にぶっちぎられた日産コンツェルンの鮎川義介が地団駄踏んでリベンジを誓ったり、まだアート商会浜松支店の支店長だった本田宗一郎が弟の弁二郎と浜松号をひっさげて参戦し、ホームストレッチでピットから飛び出した他車をよけた拍子に派手に吹っ飛んで大怪我したりした現場なのです。私なんかはわなわなしちゃいますね。
おそらく多摩川スピードウェイの会に近いと思われる方がYoutubeに非常に優れた動画を二本アップロードなさっています。下にプレーヤーを埋めこんでおきますのでご覧ください。
散策などの際、通りかかった時には当時に思いを馳せてみてください。
眼を閉じれば、通りかかった車の騒音に錯覚を覚えるかもしれません。
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