2016年1月20日水曜日

21世紀版箱根山戦争。かまぼこ屋さんの無上の駅伝愛と中継所移転にまつわる陰謀論的考察。

さて、祭りの後的な弛緩の後はおなかすきましたね。

動画の奥にちらちら看板が写りこんで気になってしょうがなかった箱根ビールでも頂くとしましょうかね。


箱根ビール醸造所

敷地の一番山寄りにブルワリーがあるんですね。


小田原寄りにあるカフェテリアに向かう途中の沿道ののぼり。てっきりオフィシャルなものなのかと思ってたら、これ鈴廣さんの持ち出しですよ。
かまぼこの里 駅伝出場校のぼり1かまぼこの里 駅伝出場校のぼり2
こういうものだから毎年新品を刷るんでしょうね。データは使いまわすにしても。それに初出場校があれば新しく追加もしますわな。
字はホントにこれでいいの?なんて。

北条太鼓のみなさんの演奏も、たぶん鈴廣さんの物心両面の後援があってのことでしょうし、この日街道のこちら側では観戦者へ鈴廣さんからの御接待もあったようで。

長年このイベントの小田原方面を支えてきた自負心とひたむきな駅伝への愛がそこにどっしりとあるのでしょう。

さていただきますか。
えれんなごっそ で軽食
コーラじゃないですから。黒ビールです。かまぼこの盛り合わせといただきます。

高めのアルコール分と炭酸のもたらす酔いに身をゆだねてアンニュイな午後(死語)を過ごしていると。駅伝のオフィシャルカーであることを示す幕をまとった重機登場。
オフィシャルの幕をまとった重機登場

明日の復路の中継所のための段取りのようです。

カラーコーン設置記念に一枚
毎年恒例のルーティンワークなのかテキパキ作業。

あすは道の向こう側が復路の中継所になるわけですな。
復路の中継所


これ↑を見るとなんで今日はこっち↓使わなかったんだろうと思わずにはいられない。
なぜこれが使えない?

中継所としての資質に足りないところは無いように思います。

例えば、


鶴見。
往路鶴見中継所1
往路鶴見中継所2



戸塚。
往路戸塚中継所1
往路戸塚中継所2



平塚。

往路平塚中継所1
往路平塚中継所2

要は、箱根駅伝の中継所は↓のような動線をとらせられれば理想な訳でしょ?

駅伝中継所 動線 概念図



中距離の選手にも活躍の場を。とか、道路が狭く渋滞の原因に。とかいういまいちピンとこない理由でここから2km強手前の小田原市内に往路の中継所を移転した先がこれですよ↓
往路小田原中継所1
理想の動線からは程遠い。
往路小田原中継所2

車道はともかく、歩道狭っ!

そんで沿道の住民は。↓
向かいの住民は怒っている


有体に言っちまえば迷惑がってますよね。明確に。「もぉー。せっかく鈴廣さんがすべて背負ってくれてたのになんでまたうちの前にくるの?」てとこでしょう。



こんなもの貼るくらいだから、移転後にこのパーティーションが破損したことがあったんでしょうよ。日本人て意外と、自分の問題にならない限りは土地境界の問題には無頓着ですが、この東海道が昔からこの道幅だったわけはなく拡張の際に近隣と土地境界に関するせめぎ合いを経験してたりするとこういうパーティション建てて隣人に対して意志表示したりしなきゃならない場面があるんですよ。それがある年の箱根駅伝から突然自宅の前に中継所が出来てワイワイがやがや。パーティションにはよじ登る、ってやられたら心中穏やかじゃありませんわな。

ネットで探ってみると。

なんか2005年の夏に往路の中継に使ってたスペースに工事が入った時に移転が決められたみたいですね。

しかしこの工事、暮れまでに完了しなかったのか?

なんだこれ、あの人こんな放言ぶっ放してたのか!(リンク:箱根駅伝の裏舞台! 瀬古が失言で箱根駅伝から抹殺)

これは失言じゃなくて、自身の発言の重さを自覚した放言、否、砲言じゃないのか?瀬古さん!
このコラムにはなにやら裏の政争を示唆する記述もあるが、なんかニュースソースの信憑性は低いな。この学連関係者ってどの程度の格をもってるのやら。

確かに2005年以降、今井だ、柏原だ。そんで去年今年と神野と。所謂る「山の神」というヒーローが5区で誕生し大会をにぎわせたことは事実ではあるが

んー。2005年の工事も(あれは一体何を工事したんだろう?)と思えるくらいあの時も、今も見た感じ代わり映えしない。

あ。駅だ!ここから思考を組み立てればいいんだ!
あと、あのビール。

風祭駅上りホーム風祭駅と鈴廣の位置関係
2008年に供用開始された現在の風祭駅。いっそのこと鈴廣駅にしてもいいんじゃないかってくらいの駅。
鉄道駅の場合手続きもあるだろうしやっぱり、こっちの改良工事も計画はちょうど2005年頃にはあったはず。

南口出るとこれだもの。
風祭駅南口を出ると目の前に鈴廣

もう一つの入口はあるんだけど、まぁだいたいこっちに出ますよ。

もう解ると思うが、この風祭駅は鈴廣さんの出資で改良されたんでしょうね。
改良前の風祭駅は島式ホーム1面で、その時の有効長は登山電車3両分。小田急の電車は1両しかドアが開かなかったんだと。しかも非常コック解放して駅員が手でがらがら開けてたらしい。

改修後は登山電車風の塗装をまとった小田急の4両編成の普通電車のみが停車する。路線の所有は箱根登山だけど箱根登山の電車はここには来ない。線路がもう三線をひいてはいないから。しかし輸送力は格段に向上。

これだけの改良をすれば、商売上非常に強力な武器となるが、それだけではもったいない。

社長さんは何を考える?たぶん商売の前に駅伝が好きなんだろう。儲けもほしいがまずは駅伝ありきだ。

「箱根駅伝のファンの方々に、どうせならこの店に来てもらって観戦していただこう。」

「そして、わが社も協賛に。」
これだっ↑

鈴廣さんはまだ、場所の提供と表に出ない協力に留まっているのだ。たぶん人的協力もあるのだろうが鈴廣の名が表に出ることは無い。

「うちは無形の協力に留まるつもりはございません。」「お願いだから協賛金のお受け取りを。」

しかし受け取れない。なんで?


特別協賛 サッポロビール株式会社

つまりメインスポンサーだ。他の協賛企業参入に対し強い拒否権を持っている。

冒頭の箱根ビールと完全にバッティングするのだ。
メインスポンサーは他社製品の商標が何度も中継画面に映り込むことを良しとしない。

箱根ビールが、税法上誕生したのは箱根ビールWebSiteによれば株式会社小田原鈴廣は小田原税務署より平成12年4月1日付けでビール・発泡酒の製造免許を受けております。


小規模な醸造は97年から始めている。平成12年は西暦2000年。税務署が金を取り始めたという事は完全に軌道に乗ったという事。2000年以降に中継所での映像に箱根ビールのロゴが入りこむ場面があったんではなかろうか。Youtube上ではまだ発見に至っていないが。

だが、サッポロビールがメインスポンサーの権力を行使していた痕跡はあった。

往路当日と15日後の比較映像をみていただこう。

往路当日。
鈴廣の敷地に設置されたサッポロビールの看板
業界のゴリアテ、世界のサッポロ。果敢に巨人に挑むダビデ、箱根ビール。


1月17日。
イベント後ただちに、サッポロ看板は撤去。



サッポロビールが大会メインスポンサーの権力を行使して箱根ビールの並びに看板設置。イベント終了で撤去されてます。



これでしょう。往路の市内移転と、未だ鈴廣さんが協賛に名を連ねられていない理由は。ビールですよ。箱根ビール。
サッポロビールはメインスポンサーの権限を行使して当然の措置を行っただけですよ。協賛金の受領の遠慮。これを広告代理店に指示しただけだろう。

何なんだこのコラムは!(リンク:箱根駅伝の裏舞台! 瀬古が失言で箱根駅伝から抹殺)

何が陸連幹部だっちゅうの。何が事情通だ。そんな奴らいたのか?確執?そんなものあったのか?ろくすっぽ取材しないで生半可な陰謀論的思考を逞しくさせてただけなんじゃねーの?。だいたい署名も無い記事だ、何書いたって全然問題にもならんわな。現地での取材の形跡もない。いい商売だなおい。カリスマこき下ろしてページビュウかせぐってか?ははは!

真相はビールにあったのか。

協賛希望を受け入れてしまうと全行程で箱根ビールのロゴが映り込んでも容認しなければならない。協賛を遠慮願っても中継所の土地・建物は鈴廣のものだから設置されたら撤去を強いることはできない。しかし長年の恩もあるし無下に扱えない。カメラアングルで相手のロゴが映り込まない復路は残すが往路は移転。

という事だろう。


いにしえの箱根山戦争は駅伝にまだくすぶっていた。遊覧船、バス、鉄道と来て運輸関係は停戦状態だが今は、ビール。
箱根山ビール戦争。駅伝の下で静かにやっている。



素敵だ。


サンスポ.comから、選手の身体的負担を慮って5区の距離短縮を検討しているという報道がなされていました。
これが実行された場合、元の鈴廣前が有力だそうですが、その場合箱根ビールとの競合はどうなるのか、非常に楽しみです。中継所をサッポロロゴで埋め尽くすような極端な対抗策を打った場合、恰好のネタとなるでしょう




                    

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